現代デモクラシーの起源って?

 こんにちは。さいとうです。最近、ひらくスペースで「民主主義論」に関するゼミを開催しています。そのゼミの準備で調べたことや考えたことを記していこうと思います。今回はその記念すべき(?)一本目の記事です。

現代デモクラシーの起源

(1)革命の時代

 現代民主主義の起源は、市民革命時のイギリス・アメリカ・フランスの運動にあると言われています。イギリス革命の水平派(Levellers)、アメリカ革命の急進派(Radicals)、フランス革命の山岳派(Montagnards)などが、その運動の主体です。これらの主張は、基本的に、全員が政治に参加できる状態をつくりだすことで、革命の過程で見落とされていた下層民の利益をも掬す社会秩序をあらたに構築しようというものです。

 というのも、この市民革命を先導したのはブルジョワジーと後にブルジョワジーになるような比較的恵まれた人びとだったことが影響しています。革命はブルジョワジーだけで成し遂げられたわけではなく、絶対王政への対抗できわめて多くの人が協働したことの結果だったからです。もうすこし詳しく言うと、これらの革命は、旧体制にたいするブルジョワジーの不満と農民や都市下層民の経済的困窮にたいする不満が重なり、絶対君主に向けられたことで成立していたためです。ブルジョワジーと農民・都市下層民はかならずしも利害が一致していたわけではなく、打倒すべき対象が一致していたにすぎないのです。言い換えれば、「打破すべき対象の一致が、利害の不一致を前景化させなかった」ことの結果だったのです。

 絶対君主が妥当されたのちに、打倒相手が不存在になると利害の不一致が表面化することになります。そこで、ブルジョワジーの掲げた理念(フランスであれば、自由・平等・博愛)が、彼らの利益に結びついていたことが明らかとなり、農民や都市下層民の状況が改善されない事態に陥ります。その時に、その社会の改良運動をさらにすすめるには、革命の果実を農民や都市下層民にもひろげる必要があると理解されました。この時に、古代ギリシアが滅んで以来、歴史の彼方に埋もれていた「民主主義」「デモクラシー」が復権してきたのです。そして、その復活の場が水平派・急進派・山岳派でした。

 ここで言う民主主義の特徴は、「社会の構成原理」となっていることです。古代ギリシアの民主主義が、既存の共同体社会を前提としたうえで機能する民主主義であったことに対して、近代民主主義は、共同する社会の形成―言い方を変えれば、できるだけ多数のひとびとに政治参加の道をひらくことによる社会の枠組み自体の創出―を志向するものなのです。

(2)古代と近現代デモクラシーの異なり

 デモクラシー(democracy)の語源が、ギリシア語のデモクラティア(δημοκρατία, dēmokratía)にあることはよく知られていることかと思います。古代ギリシアの代表的なデモクラティアはアテナイのポリスのものです。アテナイのデモクラティアは、直接民主政に近いもので、女性や奴隷、外国人などが参加できなかったものの、市民集会、評議会(民選)、民選裁判所から構成されていました。アテナイ市民は、これらの機関に直接参加し、立法だけでなく執行までに携わっていました。

 そのような古代ギリシアのデモクラシーと今日のデモクラシーが区別される理由は、ポリスが自然的に生じた共同体・社会で、近現代の国家が自然的共同社会の崩壊によって構築されたものだからです。「共同社会」とは、ドイツ語のゲマインシャフト(Gemeinschaft)のことで、自然な状態から、実在的に結びつくことで形作られるものです。「有機的な愛の力」による結合と考えられるもので、家族や集落などから生じます。古代ギリシアは共同社会でした。この社会では、構成員が共通の信仰や慣習によって統合されており、意識レベルから共通性のたかいものでした。そのため、政治的に解決する必要のある深刻な対立や衝突が内部でおきづらいことが特徴で、伝統などに基づき運営が可能なものでした。

 一方で、近現代社会は、共同社会が崩壊したことで成立しており、そこでは人びとが―たえず―自発的に努力することで結合することが求められます。その証拠に、近現代社会における政治は「利害の対立の調停」として整理されています。それを経て、社会の秩序と安定をつくりだすことが求められるのです。したがって、古代ギリシアと近現代社会におけるデモクラシーは、その土台が異なるのです。そうは言っても、古代ギリシアのデモクラシーから学ぶことのできるものは多くあります。

 たとえば、もたらされた財貨や富を私的な豊かさに用いるのではなく、公務に携わるために用いたことです。ポリスにおける活動は、私的領域における利益や権利をまもるための手段ではありませんでした。ポリス自体をひとつの領域と理解し、その中で活動することが求められていたのです。そして、なによりも、そのことが人間の幸福において不可欠な一部を構成していたのです。余暇の時間をどのように用いるのか、それが公的生活と私的生活の間に横たわる重要な論点だったのです。

 そうは言っても、ポリスは自活できる空間であったのに対し、近現代の国家は高度に工業化・都市化しており、グローバル化が進行し続けることから自給自足は望めないように思われます。したがって、古代のあり方はまったく適用できるものではないとする言説もありますが、政治が日常言語から離れて日常性を喪失してきている中において、日常世界のなかの言葉から政治を考えて語る営みの価値が、いまもなお色あせないのです。これはまた別の機会にお話しましょう。

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