現代民主主義に必要なものとは?

 さて、今回のテーマは、「民主主義と政治的なるものの安定に必要なもの」です。「政治的なるもの」という単語を使うのはなんだか口幅ったい気もしますが、ご海容にお願いします。このテーマを見ると民主主義と政治が切り離されているように思えます。「民主政」はひとつの概念なのではないかと感じる方もいるでしょう。しかし、民主政はもともとデーモス(demos, δῆμος)とクラティア(kratia, κρατία)がくっついたことで生じたデモクラティア(demokratia, δημοκρατία)の訳語なのです。つまり、ふたつの概念が結合した単語です。そして、このふたつは異なる性質をもっているのです。

民主主義と政治的なるものの安定

(1)理念的デモクラシーとは?

 「デモクラシー」とは、理念的に見ると、一定の範囲のなかに住まうすべての人の自発的な参加 / 参画による主体的な秩序形成のことです。それを実現するにあたっては、自発的に秩序を形成することができる能力を各人が備えていることが、自然ともとめられます。言いかえれば、デモクラシーは参加・参画する人間に高度に自律性を有していることを求めているのです。古代ギリシアなどのデモクラシーにおける議論が、だいたいにして、「徳」や「卓越性」、「善く生きるとはどのようなことか」といった観点から語られている理由は、デモクラシーの要請によるものなのです。したがって、デモクラシーの安定条件は参加する人の徳性にあると言えそうです。

(2)現実のデモクラシー

 ここで現実の政治に目を向けてみれば、現実は「理念的デモクラシーを断念」しています。現代のように複雑化し、多様化し、大規模化した国家のなかのデモクラシーは、まとまりを欠くことになるのです。実際に、すべての人民の参加・参画を行えば、決定をくだすことが難しくなり無政府状態に陥る確率が高いからです。そのため、少数者に権力が委ねられることになり、デモクラシーの発想と仕組みは、政治という営みに局所的に組み込まれることになります。ここで成立するのが民主政です。この民主政の安定条件は、デモクラシーと政治がどれだけ有効に結びつき、お互いの長所と短所を補完しあうかにかかってくることになります。

 具体的に言うと、デモクラシーに含まれる無政府的な傾向を政治によってどの程度ゆるやかにするのか、また政治的なものに含まれる少数支配的な傾向をデモクラシーによってどの程度ゆるやかにするか、がポイントになってきます。無政府主義的な傾向を持ちつつも、他者と同質化することになるデモクラシーが、政治の機能でもある異質な存在とどのように折り合って共存するのか、という点は重要な意味を持ちます。

(3)安定化の位相

 このような安定のための条件は、①制度的なものと②個人的なものに分化します。制度的なものを考えれば、議会や行政と政党、司法といった制度や組織がデモクラシーと政治をどのように結びつけるのかが問われることになります。これらの制度の実際上の機能は、それぞれの国家の歴史や伝統、風土や文化によってさまざまな傾向を帯びてきます。そのため、一見すると同じような制度でも、安定化においてはまったく異なる動き方をしていることがほとんどです。

 このように制度的な外見が同一に見えても、実際的な動き方に異なりが存在するのは、制度の土台にある文化や歴史、そしてその文化などの中で育まれてきた個人の異なりに拠っているのです。つまり、制度という枠組みを運用する人間(そしてその文化)に差異が認められるからです。したがって、デモクラシーと政治を安定させるうえで重要なのは、自律的な個人をいかにつくりだすのかに収斂します。こうした自律的な人間を広い意味での教育において、もしくは政治的社会を通じてつくりあげていくことが政治を安定させるうえでの最大の条件になってくるのです。そのような人がどのようにつくりだされていくのかについては、またあらためて申し上げることにします。

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